内田樹さん『父の約束』寄稿 その3(2016)

内田さん3

弊社刊行の福島原発事故の記録『父の約束』に、内田樹さんより書評をご寄稿いただきましたので、少しずつ掲載して参りたいと思います。(ご寄稿をいただいたのは2013年です)
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「原発事故で生まれた日本人の心の傷とは?」
書評・内田樹(思想家・武道家)

○「猜疑心」という心の傷

「福島について語る人たち」(その中には被災者ではなく、善意で福島にコミットした人たちも多く含まれる)がどのような数値を挙げて、どのような被害評価を行おうとも、誰かのコメントを引用しようとも、それらを価値中立的なものとして受け止めることができなくなったのである。私たちは、何を聞いても、何を読んでも、そこには何らかの政治的意図が働いているのではないかと疑い深げなまなざしを向けるようになった。福島についての言説に触れるときにはナイーブであるべきではない。私たちはそのことを学習したのである。

○ナイーブであれば誰かに利用される。

たしかに義捐金は行き渡らず、復興予算は被災地以外に流用された。そういう事実が報道される度に、私たちは「ただ『被災地の方たちは気の毒だ』と言っているだけでは、誰かにいいように利用されるだけだ」と思うようになった。そういう「あらゆる情報への懐疑的な構え」が、あたかも一種の「メディア・リテラシー」であるかのごとく、深く日本人のうちにしみ込んだのである。

原発事故が日本人に与えた最大の心の傷はこの猜疑心だったと私は思う。

私たちの傍らには事故の被害者たちがいる。親族を失い、家郷を失い、仕事を失い、心身に深い傷を負った人たちがいる。その人たちに対する「気の毒だ」という無防備な同情があらゆる計算に優先するはずなのである。

でも、メディアを通じて涵養された猜疑心がそのような無防備な感情の存立を妨げている。

かつて孟子は「惻隠の情」についてこう書いた。

「人にわかに孺子(じゅし)のまさに井に入らんとするを見れば、皆怵惕(じゅってき)惻隠の情あり。交わりを孺子の父母に内(い)れんとする所以(ゆえん)にも非ず、誉(ほま)れを郷党朋友に要(もと)むる所以にも非ず、その声を悪(にく)みて然るにも非ざるなり。」(子どもが井戸に落ちかけているのを見たら、人は誰でも驚きあわて、いたたまれない感情になる。子どもの父母と懇意になろうという底意があるわけではないし、地域や仲間内で名誉を得たいと思うからでもない、これを見過ごしたら非情なやつだと悪評が立つことを恐れるからでもない)。「公孫丑章句上」

何の計算も欲得ずくもない、無防備で、ナイーブな、ただの、まっすぐな「いたたまれない気持ち」が被災者支援の感性的な基礎であるべきだったと私は思う。

でも、今の日本には、その無防備な気持ちの居場所がない。

それがこの二年半の福島をめぐる無数の言説がもたらした結果だったと私は思う。「誉れを郷党朋友に要むる」輩や「声を悪みて然る」輩があまりに多く福島について語ってきたために、「惻隠の情」のための場所がなくなってしまったのである。(つづく)

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 学問・文化・芸術

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MITSUI YASUSHI

Author:MITSUI YASUSHI
画家・イラストレーターの三井ヤスシと申します。このOFFICIAL BLOGでは、展覧会などで発表したオリジナル作品や、書籍や雑誌などに掲載されたイラストレーションのほか、展覧会の予定などのお知らせを随時掲載して参ります。

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